複雑に入り組んだ海岸線を持つ三陸海岸。南北に続くその海岸線のほぼ中心地にこの町はあります。三方を山に囲まれ、目の前に海が広がる、山の幸と海の幸に恵まれた自然豊な町。『ひょっこりひょうたん島』のモデルになった蓬莱島もここにあります。東日本大震災では、この町に12mを超える津波が襲い、甚大な被害をもたらしました。犠牲者は人口の11%にも上り、宮城県女川町に次いで2番目に被害が大きかった町といわれています。4つの小学校と1つの中学校が津波に飲み込まれ、今でもなお、子供たちは仮設校舎に通っています。現在、5つの学校を統合した小中一貫教育校の建設が急ピッチに進められており、そこでテールアルメ工法が採用されております。平地が少ないこの地域で、テールアルメ工法の高壁高の垂直盛土が経済的に構築できる特徴と耐震性が非常に高く災害に強いという過去の実績が評価されました。実は、あの地震の1年前にも、この町に大津波警報が鳴り響いたそうです。チリ沖地震が発生し、7mの津波予想が伝えられましたが、実際に来たのはたった60cm。「だから5年前、まさかあんな大津波が来るとは誰も思いませんでした。津波を見るために沿岸部に足を運んだ人もいたそうです」。完成後はこの学校が防災拠点としての役割も担います。取り返すことの出来ない過去、だからこそたとえ100年、1000年に一度の出来事でも、今後発生したときは、その時代を生きる住民を守り抜くという強い意志を感じます。